震災から3週間後、私はレクリエーションの仲間と東北福祉大学がコーディネートするボランティアのバスに乗って石巻市へ向かいました。レクによる支援活動を始めたいと考えていましたが、勝手に被災地に入ることも難しいため、一般のボランティア活動に参加して、被災地の状況とニーズを把握しようと思ったのです。また、「何かしないといけない」という個人的な想いもありました。
石巻市では、主に津波の被害にあった民家の片付けを手伝いました。泥をかき出し、家具などを運び出したり、捨てる物と残す物を分ける作業をします。家主の方に「これはどうですか」と話しかけることも多く、そこでのコミュニケーションはとても大切でした。作業が「つらい」ではなく、むしろ楽しみながらできるように。かといって大声で笑うといった過度な態度ではなく、被災者のみなさんと接します。そうして関係性が良くなると、作業もしやすくなり、安心してコミュニケーションがとれるようになると、被災当時のことを話してくれたり、被災者の方も気持ちが落ち着いていきました。
そんな雰囲気ができると、物資を配布しに回っているボランティアも、大きな家具を運び出すのを手伝ってくれたり、関わってくれる人が増えました。自分たちが雰囲気をつくれば、それが伝わっていくのです。それには、普段のレク活動でのコミュニケーション・ワーク、相手を思いやる気持ちや、相手の出方を待った方がいい時には受け止めるといった姿勢がとても生きました。また、このような関係が築かれれば、どんなレク支援も受け止めてもらえると実感し、改めて、レク支援の内容や技術よりも前に、相手との関係性・信頼関係をつくることの必要性を学びました。
石巻市に通う中で、災害ボランティアセンターである石巻市社会福祉協議会の担当者ともお話をする機会がありました。「レク支援のニーズはある」というお話が聞け、その当時、牡鹿半島の先端にある鮎川という地域に支援の手が伸びないということもわかりました。同じ頃、震災前に県教育事務所の「健康まつり」などで関わりのあった方が女川町に赴任しており、「今がレク協会の出番」という連絡をくれ、宮城県レク協会の支援活動は、そこから始まっていきました。
最初に行ったのは、鮎川地域の避難所となっている福祉センターでした。運営する社協の職員も家が流され、避難しながらなので、みなさんが疲れた表情。それでも、「ここにいる人のために、お願いします」と迎えてくれました。しかし、この日は自衛隊の音楽隊の慰問も入ってきてしまいました。担当者も「申し訳ない」という表情です。「無理してやらなくても」と言う同行したスタッフもいましたが、避難所には子どもたち、高齢者、障がいを持つ方も多く、音楽隊の演奏を聴くだけでなく、そのあと、一緒に身体を動かしたり、声を出したりすることも必要と感じ、活動を行うことにしました。