宮城県東松島市で被災し、娘さんを亡くされた中塩敬子さんは、震災の5年前に宮城県レクリエーション協会が行った「減災レクリエーション」という研修会に参加していました。中塩さんはこの災害時のレクリエーションによる支援をテーマとした研修を思い出し、震災直後から自分が身を寄せる避難所で支援活動を始めました。
中塩さんが住んでいたのは、宮城県東松島市野蒜の東名(とうな)という地区です。被災した航空自衛隊松島基地が近くにあり、現在も地盤沈下のために広い範囲が水没しています。震災の当日、中塩さんはご主人と自宅におり、小学校5年生のお孫さんが遊びにきていました。地震の後、避難所に指定されている施設が自宅より低いところにあることから、自宅で様子を見ていましたが、そこに津波が押し寄せてきたそうです。
見る見るうちに水が腰の高さにまでなり、孫を押し入れの上段に上げました。中塩さんのご自宅は平屋でしたが、幸いにも水没せず、押し入れの中で一晩を過ごしました。翌日、消防隊員に助けられ、消防署のポンプ置き場へ。コンクリートの床にビニールシートを敷いただけの場所でまた一夜を明かし、その翌日に避難所に行くことができました。避難所に着いて他の孫たちとも再会。しかし娘の姿はなく、知り合いも一緒に探してくれましたが、見つかりませんでした。時間が経つにつれて、最悪の事態も覚悟したといいます。
避難所では、まわりの人たちがみんな暗い顔をしていることに気づきました。これだけの被害を受けたのですから当然です。しかし、「このまま落ち込んでいたら、心にも身体にも悪いし、自分たちもダメになる」と思ったそうです。また、少し騒ぐと、「静かにしてろ」「おとなしくしてろ」と我慢をさせられ、子どもたちもストレスを溜めていました。そこで、避難所に来て4日目、中塩さんは「みなさんちょっと身体を動かしませんか」とまわりの人たちに声をかけました。そう声をかけたのにはもう一つ理由がありました。「娘のことを思うと涙が出てくるのだけど、孫の前では泣けない」。自分が明るく振る舞い、お孫さんたちを不安にさせないようにしたいという思いがありました。
まわりの人たちからは、「こんな時にそんなことやってられない」と言われたり、「娘がまだ見つかっていないのに、それどころじゃないだろう」とも言われました。しかし、子どもたちは違いました。「やろう、やろう」と集まってきたのです。最初の3日ほどは低学年の子どもたちだけでした。「カゴメ、カゴメ」やハンカチ落としなど、わらべ歌や昔遊びをやったり、手遊びや〝後だしジャンケン〟、支援物資の入っていた段ボールでメンコを作ったり、毛糸を使ったあやとりをしたり…。そのうち高学年の子どもたちも一緒に遊ぶようになり、毎日20人くらいの子どもたちが中塩さんのまわりに集まるようになりました。その様子を見ていた区長さんがクレヨンを持ってきてくれると、みんなで段ボールに絵を描き、メンコを作りました。
10日目くらいからは、そうした光景を見て、「メンコだったらオレもやっていた」、「あやとりだったら私も教えられる」と大人(高齢者)も遊びの輪の中に入ってきました。避難所の中で遊ぶスペースも布団をたたんでつくったり、外でキャッチボールをしたり、「今日はハイキングに行こうか」と遊具のある公園まで歩いていったり。朝は、みんなでラジオ体操をするようにもなりました。
保育園や小学校が始まり、集まるのが高齢者だけになっても活動は続きました。ジャンケンを使ったゲームや手遊びなどで身体を動かしたり、支援物資で届いた野菜を使って料理の勉強会などもしました。「いい湯だな」などの親しみやすい歌に合わせた体操をする時は、みんなが一緒に歌ってくれるようになりました。中塩さんの活動が始まり、避難所は明るくなったといいます。笑顔が出てきはじめ、日増しに笑い声も大きくなっていきました。避難所から仮設住宅に移る時には、「もう出て行ってしまうの」「もっといてください」と言われ、仮設住宅に移った後も避難所を数回訪問したそうです。
中塩さんは、宮城県レクリエーション協会が震災の5年前に行った「減災レクリエーション」の研修会で学んだことが役立ったといいます。この研修会では、避難所や仮設住宅の集会所を想定した、用具や道具がなくてもできるゲームや、座布団やタオルといった災害時でも手に入りやすい物を使ったグループゲーム、そして声を出し、身体を動かすための歌に合わせた体操などを体験しました。そうして体験したことを思い出しながら、活動をしていったそうです。そして、仮設住宅に移った現在も、毎日のように集会所でのお茶飲みサロンやサークル活動をリードしています。
大きな被害を受けた地域の避難所では、早い段階からのレクリエーションによる支援が難しい場合があります。地元に住み、被災者である中塩さんだからこそ、早い段階から活動ができたのかもしれません。一方で、中塩さんのように、災害時のレクリエーション支援の必要性や簡単なリードの方法を知っている人がいることで、子どもたちや高齢者の支援が進むことも中塩さんは示してくれました。各地域に中塩さんのような人を増やすためにも、減災レクリエーションのような研修の普及やレクリエーション指導者養成の中で災害時のレクリエーション支援について学べるようにすることが求められています。