宮城県七ヶ浜町に住む舘岡百合子さん(しちがはまレクリエーション協会会長)は、震災の2週間後から避難所で健康づくりのための支援活動を始めました。しちがはまレク協会の仲間と分担して町内の避難所をまわり、現在も仮設住宅での支援活動が続いています。
しちがはまレク協会は、震災前から町内で介護予防教室を実施していました。そうした関わりから、舘岡さんは教室に参加していた人たちや避難所で暮らす人たちの様子が、震災直後から気になっていたと言います。しかし、同じ町内とはいえ、舘岡さんの自宅は津波の被害を免れていたため、避難所に赴くのをためらっていました。
2週間が経過しようとしていた頃、舘岡さんは支援の方法を町の保健師さんと相談しに出かけました。その途中、介護予防教室の参加者に会ったそうです。その方は自宅で生活していたのですが、震災で介護予防教室ができなくなり、また外出の機会も少なくなったせいか「膝が痛くなった」と話していました。それを聞いて、「避難所で生活する人たちは、もっと状態が悪くなっているのではないか」と思ったそうです。舘岡さんは、「たとえ5分でも身体を動かしたほうがいい」と考え、エコノミークラス症候群予防などについて教えてもらった東北福祉大学の先生にも相談し、一緒に避難所に行ってみることにしました。
避難所に行ってみると、たくさんの被災者が雑然といる様子に、どうやって声をかけていいのかわからなかったそうです。そんな中、福祉大の先生が最初の声かけをしました。避難所の関係者が「マイクがあります」と言うと、「地声でやります」と断り、「みなさんお身体は大丈夫ですか。少し身体を動かしませんか」と声をかけました。大きい声でしたが、マイクよりも暖かみがあったと言います。その声に顔を上げた人たちの中にも、介護予防教室の参加者がおり、「先生、来てくれたの」という言葉に「気持ちが良くなるから、身体を動かしてみよう」と誘って、マッサージやエコノミークラス症候群予防の体操を始めました。二人、三人と、少しずつ立ち上がり、15分間程度でしたが、最初の支援活動をすることができました。そして次の避難所へ向かいます。「身体を動かすことは積み重ねだから」と一カ所にあまり長居はせずに、町内5カ所の避難所をまわりました。
最初の声のかけ方や体操の進め方の要領もわかり、次の日からは舘岡さん一人で避難所をまわりました。レク協会の仲間も、炊き出しなどのボランティア活動もしていましたが、4日後くらいから活動に加わり始めたそうです。「おはようございます。ごめんなさい、大きな声だすけど、今日も身体を動かしましょう」など、最初の声のかけ方を仲間にも教え、町内の避難所と、そこの一つひとつの部屋を分担してまわっていきました。仲間と手分けをすることによって、一人ひとりは一日おきに支援活動をし、しちがはまレク協会としては毎日(平日)の支援活動を行うことができたそうです。
震災前、町の介護予防事業が活動の核となっていた、しちがはまレク協会。会員も活動のために、身体のことを勉強しにいったり、筋力トレーニングの知識を学んだりしていたそうです。さらに、福祉関係に勤める仲間も多く、定例会では各自の得意なプログラムやアクティビティを教えあうなどしていました。介護予防の活動をしていたことが、被災者とのつながりとなり、支援活動をするノウハウとなっていたのです。
しちがはまレク協会の支援活動は、被災者の暮らしが仮設住宅に移っても続いています。筋力トレーニングの要素を多くしている集会所、交流のためにゲーム的なプログラムを多くしている集会所など、ニーズにあわせた支援を行い、男性に向けてノルディック・ウォーキングをとり入れたイベントを企画したこともありました。
舘岡さんとしちがはまレク協会の活動からは、介護予防に対応する活動が、被災者支援への意識、ノウハウ、ニーズへの対応力をつけていることがわかります。他の地域レク協会では、子どもの居場所づくりに取り組んだことが、早い段階からの支援活動につながった例もありました。今後の災害への備えとういう意味からも、普段からこうした活動に取り組むことの大切さを教えてくれました。